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第4話

 古沢典夫県農試場長が編成したバイテクチームは、新採用の佐々木力を除いて農場内から集められた。キャップの石川洋は水田作科、新田政司は農業機械科、木内豊は畑作科から引き抜かれた。
 日陰のバイテクチームは誕生からして日陰だった。メンバーの一人は「余計者が交じれば、金も取られる。お前らができたんで忙しくなった。機械も壊されるし圃場も狭くなったと言われた」と苦笑いする。
 バイテクチームを取り巻く人々がシュウトメ根性丸だしだったというわけではない。各科は科長を除き、4人の実働部隊を基本とした。

 「バイテクチームの人集めが大変だった。増員ができないため、各科から集めざるを得なかった。4人のところから1人出せば25%の戦力減になる。おまけに海のものとも山のものともつかない仕事を始めるわけだから、周囲の目も険しくなる。チームも肩身が狭かったろう。」

挿絵  古沢の述懐だ。水稲品種開発とハッキリ銘打った予算がついたのは6年後の平成2年だから当初金もなかった。チームは正に居候だった。

 新田は語る。「交配室がないから『戸外の付属施設』で始めた」。つまり物置小屋からのスタートということである。「ドラム式の機械を使ってやる育種を、お恥ずかしながらバケツでやった。つらいのは研究員1人に1人付くオバサン(補助員)がチームに1人だけだったことだ。」

 丸顔に目の優しい石川は陽性、楽天家だ。佐々木は岩手大学農学部農学研究科の修士課程を出たばかりの苦労知らず。新人の気楽さと自らを「ノーテンキ」と言うだけあって、こたえなかった。 こたえたのは中堅の新田と木内だった。木内は「夜になると新田さんと酒を飲みながら慰め合った。今に見てろと思った」と語る。

 開発期間を短縮するため、年1回の世代交代を3回に上げることにした。交配室は過酷だ。室温30℃〜32℃、湿度100%を維持するため、夏でもストーブをたき、床には湯が張られた。新田は最初の夏で3キロせた。石川は「仕事の後のビールがうまい」と、あまり動じた風でもなかった。

 きついのは「環境」だけではない。「育種技術がない。テキストに書かれてあることは抜粋のそのまた抜粋で分からないことだらけ。他の試験場のように先輩から後輩に引き継がれるノウハウがない。圃場に立てるラベルの立て方さえも分からなかった。育種は遺伝学的確立統計で進められるのに、その計算も知らなかった」と木内。ところが佐々木に言わせると「ノーテンキだからやれた」と屈託がない。

(当時の役職名使用、文中敬称略)

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